機器分析で切り拓く、納豆/納豆菌による健康増進の未来
1.はじめに
納豆は、蒸した大豆を納豆菌で発酵させることでつくられる大豆発酵食品である。納豆の誕生については諸説あるが、茨城県に関しては、永和3(1083)年、源義家が奥州に向かう途中で水戸市の屋敷に宿泊した際、煮豆の残りを藁で包んでおいたところ、煮豆が自然に発酵して糸を引くようになっており、これを家来が食べたところ美味しかったので義家に献上したところ、大変喜び、以来、将軍に収めた豆という意味で「納豆」と名付けられ水戸の農家に広まった、と言われている[1]。
現在でも納豆の消費金額が全国上位[2]、全国納豆協同組合連合会に加盟する納豆メーカー数が県別で最多[3]を占めるなど、本県と納豆とのかかわりは深い。茨城県産業技術イノベーションセンターにおいても、納豆および納豆菌に関する基礎研究から製品化・実用化まで各ステージで企業支援を行っている。本稿では、当センターが機器分析を活用して取り組んでいる納豆研究の概要を紹介したい。
2. 納豆中ポリガンマグルタミン酸の高精度定量
2-1.経緯
はじめに、当センターが参画した農林水産省委託プロジェクト「地域の農林水産物・食品の機能性発掘のための研究開発」(平成28年度~令和2年度)について触れる。このプロジェクトでは、地域の特産物を活用した機能性表示食品の開発を目指し、茨城県、長野県および沖縄県の3地域でそれぞれコンソーシアムを形成して取り組んだ。このうち茨城コンソーシアム((国研)農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)、筑波大学、タカノフーズ株式会社、当センター)は納豆に着目した。
納豆には食後早期の血糖上昇抑制効果があること、粘性成分のβグルカン、グルコマンナン等に食後の血糖上昇を抑える効果が報告されていることから、納豆の粘りの主成分であるポリガンマグルタミン酸(γ-PGA)にも同様の効果があるのではないかと推察した。そこで茨城コンソーシアムは、(1)γ-PGAの機能性を明らかにすること、(2)γ-PGAを機能性関与成分としたγ-PGA高含有納豆を開発することを目標とした。
機能性表示食品の届出には機能性関与成分の定量が必要である。その一方、取組の過程で試作したγ-PGA高含有納豆は粘りが非常に強く、これまで報告されている測定方法ではγ-PGAが定量できないという課題が生じた。
この課題を解決するため、当センターでは、γ-PGA高含有納豆に適用可能なγ-PGA定量法の開発に取り組んだ。
2-2.γ-PGA定量法の開発
γ-PGA定量法の開発にあたっては、既報[4]を参考にして基本的な分析の流れを構築後、各項目で最適な条件を決定して組み合わせ、定量法の最適化を試みた。このときγ-PGA高含有納豆からの粗γ-PGA抽出効率、抽出したγ-PGAの精製方法、納豆粒由来の夾雑タンパク質やペプチド等の除去効率の向上が課題となっていたことから、粗γ-PGA抽出効率向上のための納豆の乾燥粉末化(項目①)、粗γ-PGA回収時に添加する塩の種類(項目②)、γ-PGA精製方法の組み合わせ(項目③)について検討した。なお、本手法では納豆から抽出したγ-PGA(=グルタミン酸の重合体)を酸分解してγ-PGA由来のグルタミン酸含量を測定したのち、目的のγ-PGA含量を算出する。このとき大豆由来のタンパク質等が分解されるとγ-PGA由来のグルタミン酸含量が算出できなくなることから、γ-PGAが分解されることを予め確認した加熱条件(3M塩酸、110℃)で、夾雑タンパク質等の分解が起こらない分解時間(項目④)を検討した。さらに、高速液体クロマトグラフ(HPLC)を用いたグルタミン酸定量前の遠心分離(項目⑤)について検討した。以上の5項目に関して最適な条件を組み合わせ、納豆中のγ-PGA定量法を開発した(図1)。
図1 開発した納豆中γ-PGA定量法
2-3.妥当性確認試験
機能性表示食品に関する質疑応答集[5]では、機能性関与成分の分析方法を示す資料を作成する際に留意すべき事項として「分析方法は査読付き論文や公定法等客観的な評価が行われていることが望ましいが、公定法等がない場合は、表示量付近での添加回収試験や繰り返し分析等を実施し、分析方法の妥当性確認を行うことが望ましい。」と回答している。しかし、納豆中γ-PGA分析に関する公定法はまだ存在しない。そこで、開発したγ-PGA定量法の信頼性を示すため、単一試験室での妥当性確認試験を行った。
本手法では、HPLCにより得られたグルタミン酸含量に所定の換算係数を乗じて目的の納豆中 γ-PGA含量を算出する。そのため、グルタミン酸標準試薬を用いて作成した検量線の濃度とピーク面積から回帰直線を作成し、検量線の直線性を確認した。また、γ-PGA含量が異なる3種類の納豆を用意し、同日3点、異日3日間でγ-PGA含量を測定後、一元配置分散分析を行うことで併行精度および室内再現精度を算出した。さらに、納豆は通常γ-PGAが含まれていることから、一定量のγ-PGA標準溶液を添加した納豆(添加区)および未処理の納豆(無添加区)を用意して、添加区のγ-PGA含量から無添加区のγ-PGA含量を差し引くことで添加回収率を算出した。
妥当性確認試験の結果、検量線の直線性は相関係数0 . 999以上、併行精度は1.9%-4.3%、室内再現精度は1.8%-3.9%、添加回収率は98.5%-101.0%を示し、開発したγ-PGA定量法が高い精度と再現性を有することを確認した[6]。
茨城コンソーシアムのうち農研機構では、γ-PGA 高含有納豆を長期投与したマウスは非投与マウスに比べて血糖値が有意に低下することを見出し[7]、筑波大学では、ヒト介入試験によりγ-PGA 高含有納豆が特に食後早期の血糖値上昇抑制に有効であることを明らかにした[8, 9]。この理由として、γ-PGA が粘性を有する高分子であることから、水溶性食物繊維と同様のメカニズムで食事中の糖の吸収を抑えて食後早期の血糖値上昇を穏やかにしていることが推察された。
以上の研究結果に基づき、機能性表示食品としてのγ-PGA高含有納豆の製品化が期待される。
2-4.実施例
同プロジェクトで開発した納豆中γ-PGA定量法を用いて、当センターで保有している納豆菌を用いて納豆を製造後、製造直後および10℃で20日間保存した後のγ-PGA含量を測定した。そ の結果、当センターが開発した納豆菌IBARAKI XF36株[10]を用いて製造した納豆は、製造直後において対照株を用いて製造した場合の約1.6倍のγ-PGA含量を示した。さらに、対照株を用いて製造した納豆は製造直後と比べ10℃、20日間保存後のγ-PGA含量が有意に低下した一方、 IBARAKI XF36株を用いて製造した納豆は製造直後と同等のγ-PGA含量を保持していた(図2)。
図2 IBARAKI XF36株を用いた納豆のγ-PGA含量
以上から、IBARAKI XF36株はγ-PGA高産生性かつ納豆製造時の品質変化が穏やかな株であるという特長を確認することができた。
そこで、納豆の新製品開発に意欲的な県内企業を対象とした研究会を立ち上げ、会員企業と共同でIBARAKI XF36株を用いた納豆の最適な製造条件の検討に取り組んだ。こうした取組の結果、だるま食品株式会社(水戸市)より、IBARAKI XF36株を用いた黒大豆納豆「くろこじろう」が2022年に製品化された(図3)。
図3 小粒黒大豆「くろこじろう」
(だるま食品株式会HP より転載)
3. ウイルス感染疑似細胞モデルの開発と納豆菌による抗ウイルス作用の調査
3-1.経緯
SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)やインフルエンザウイルス感染症の蔓延により、毎日の食事を通じて感染症を予防したいというニーズがこれまで以上に高まっている。納豆は大豆と水、納豆菌というシンプルな原料からつくられるが、納豆菌(B. subtilis natto)もプロバイオティクスとして健康維持に有用な役割を果たすことが知られている。そのため、当センターでは近年、納豆菌の機能性に注目した研究を行っている。
感染症予防に寄与する食品を開発するためには、ウイルス抵抗性(抗ウイルス作用)を評価する技術が必要である。従来、抗ウイルス作用の評価手法は、実験動物にウイルスを感染させた後、評価したい食品成分を投与する方法が主流であった。 しかし、この手法は実験従事者の安全性やコスト、時間などの点で課題があることから、ウイルスや実験動物を使用しないウイルス感染評価モデルが求められていた。この課題を解決するため、当センターでは細胞を用いたウイルス感染評価モデルの開発に取り組んだ。
3-2.ウイルス感染疑似細胞モデルの開発
ヒトにおいては、新型コロナウイルスなど一本鎖RNAウイルスに感染した際、マクロファージとよばれる免疫細胞が炎症反応を起こし、その結果、抗ウイルス作用に関与する遺伝子の発 現が誘導される。最近、in vivoにおける新型コロナウイルス感染モデルとして、ウイルス由来の一本鎖RNAと類似した作用を有する合成試薬(Resiquimod)をウイルスの代わりにマウスに腹腔内投与し、抗ウイルス作用に関与する遺伝子発現の上昇度合いを調べる方法が提案された[11]。
当センターではこれらの報告を参考に、シャーレ上にヒト単球由来THP-1細胞を培養した後、 ResiquimodをTHP-1細胞に作用させることで、マクロファージを一本鎖RNAウイルス感染時と 同様の炎症状態に誘導させるウイルス感染疑似細胞モデルを開発した[12](図4)。
図4 ウイルス感染疑似細胞モデル
この手法は毒性の高いウイルスを使用することや動物実験を行う必要がない。そのため、従来法と比べて安全面、コスト面および時間面ともに優れているといえる。
3-3.納豆菌による抗ウイルス作用の調査
開発したウイルス感染疑似細胞モデルを用いて、納豆菌の抗ウイルス作用を調査した。当センターが保有する4種類の納豆菌を寒天培地上で調製後、納豆菌体を純水で洗浄、遠心分離を行い凍結乾燥した。得られた粉末状の納豆菌をウイルス感染疑似細胞モデルに添加して、3時間培養後、定量的リアルタイムRT-PCR(qRT-PCR)により抗ウイルス作用に関与する遺伝子の発現を調べた。その結果、納豆菌は無添加区(対照)に比べて細胞レベルで抗ウイルス作用を示す成分の遺伝子発現を高めることを見出した。このうち特に納豆菌IBARAKI XF36株は、抗ウイルス作用および抗炎症作用に関与する遺伝子の発現を強く誘導することが明らかになった(図5)。
図5 IBARAKI XF36株による抗ウイルスおよび抗炎症作用関連遺伝子の発現誘導
(Foods, 12, 313, 2023. Figure 5. より転載)
このことから、IBARAKI XF36株をはじめとする納豆菌はウイルス感染における過剰な炎症を抑制することが示唆された。
3-4.企業との取り組みに関する事例
このウイルス感染疑似細胞モデルを利用して当センターと株式会社帝人目黒研究所が実施した共同研究では、当該企業が保有する納豆菌BN株の添加により、免疫増強に関与するタンパク質(サイトカイン)の遺伝子発現が、通常の状態とウイルス感染様状態の双方のマクロファージにおいて有意に上昇することが明らかになった[13]。
これらの成果は、納豆菌BN株がヒトの免疫機能を増強し、ウイルスによる感染を抑える可能性を示しており、今後も共同で納豆菌および納豆による健康増進に寄与する研究を進めていく予定である。
4.おわりに
食品産業では健康機能性志向の高まり、感染症を予防できる食品のニーズ増加など、コロナ禍を経て新たな生活様式への対応が求められている。 この状況に対応すべく、当センターではこれからも様々な機器分析を活用することで、納豆メーカーをはじめとした県内企業の多様な要望を汲み取り、製品開発や新規ビジネス創出の支援に取り組んでいく所存である。
最後に、研究を進めるうえで、農研機構をはじめ共同研究機関の皆様には多くのご助言、ご指導を賜りました。この場を借りて、あらためて厚く御礼申し上げます。