核磁気共鳴装置の原理と応用
概要
核磁気共鳴(NMR)装置は、強い磁場の中に試料を置き、核スピンの向きを揃えた分子にパルス状のラジオ波を照射し、核磁気共鳴させた後、分子が元の安定状態に戻る際に発生する信号を検知して、分子構造などを解析する装置です。
一般的には、複雑な有機化合物の化学構造の決定(H、C、N などの結合状態、隣接原子との関係などが分かります)に用い、試料の有機化学物質を非破壊で測定できることが特徴です。また、最近では、NMR イメージングが、MRI として医療分野で画像診断に欠かせない装置となっています。
本編では、NMR の特徴、原理、装置の構成などを紹介し、フルーツジュースの分析例を示して、NMR の原理と応用を解説致します。
1.NMR の特徴
核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance, NMR)装置は化合物の分子構造や物性の解析を行うことのできる装置です。構造だけでなく、分子間や分子内相互作用、分子の運動性など有用な情報が得られるため、生命科学、化学、医薬品・食品開発、材料科学といった幅広い分野で利用されています。
サンプルとしては溶液や固体、ゲル、エマルジョンなどが対象で、結晶化などの複雑な前処理は不要です。標準的な検出器を用いれば 60 以上の核種を測定する事ができ、同位体であっても共鳴周波数が異なるので容易に識別可能です。分子構造を原子核1個の分解能で観測できる一方、感度が低いのが欠点で、通常数 mg 程度のサンプル量が必要です。ラジオ波帯域の電磁波を使うことからNMR は非破壊・非侵襲的な測定でありNMR の原理を応用した NMR イメージングは、磁気共鳴画像(MRI)として画像診断に欠かせないものになっています。
2.NMR の原理
核スピン量子数1が0でない原子核は磁気双極子モーメントを持ち、小さな磁石とみなすことができます。これを磁場中に置くと原子核はゼーマン分裂によって 2I+1個のエネルギー状態を取り、このエネルギー差に相当する電磁波(ラジオ波)に共鳴するようになります(図1)。
図1 ゼーマン分裂
共鳴周波数は核種によって異なりますが、同一核種においてもそれぞれの原子核の置かれた化学的または磁気的環境に応じて差が生じます。これは化学シフトと呼ばれ、NMR シグナルの化学シフトから化合物に含まれる官能基の種類を推定することができます(図2)。
図2 1H 化学シフト表
図3 エチルベンゼンの1H NMR スペクトル
図3にエチルベンゼンの NMR スペクトルを示しますが、エチルベンゼン分子中の3種類の官能基に対応する位置に共鳴線が見られます。これらの共鳴線の面積(積分強度)の比はそれぞれの官能基中の 1H 原子の個数比になります。NMR シグナルは化学シフトの位置に単純な1本線として観測されるのではなく、複数本に分裂する場合があります(図 3 右)。
これは隣接する 1H 原子核同士の相互作用によるもので、スピン -スピン結合と呼ばれ、これを解析することにより原子核同士のつながりに関する情報(隣接する 1H 原子の数、化学結合の角度など)が得られます。もうひとつ NMR 測定で得られる重要なパラメータとして緩和時間が挙げられます。緩和とは核スピンに吸収されたラジオ波のエネルギーが放出され元の熱平衡状態へ戻る過程で、それに要する時間(緩和時間)は分子運動性を反映するため材料科学などにおいて非常に有用です。また緩和時間は原子間の距離情報を調べる実験に利用されています。
NMR スペクトルを得るには、サンプルを磁場中に入れラジオ波の周波数を掃引しながら逐次共鳴を観測すれば良いわけですが(Continuous Wave NMR)、掃引に時間がかかるため非効率でした。1960 年代に Ernst と Anderson により開発されたパルスフーリエ NMR では、パルス状のラジオ波を照射することで広い周波数帯域を一度に励起します。この方法で検出される信号には個々の共鳴線に対応する周波数成分が全て含まれていますが、これをフーリエ変換することでNMR スペクトルが得られます。
この方法は CW-NMR に比べ信号雑音比が大幅に上昇することが実験的、理論的に示されました。パルスフーリエ NMR の恩恵は信号雑音比の向上だけでなく、むしろその神髄はパルスシーケンスによるスピンの操作を可能にしたことにあります。ラジオ波の周波数、強度、位相、タイミングなどを適切に組み合わせることで、炭素の級数決定、 1H-13C といった特定の結合の検出、空間的に近接した 1H のペアの検出等々、単純な共鳴線の観測だけでは不可能であった情報の抽出が可能となり、NMR の有用性が格段に向上しました。
3.NMR 装置の構成
NMR 装置は、磁場を発生させるための磁石、ラジオ波を作り出す高周波発生装置、サンプルの励起および NMR 信号の検出を行うプローブ、検出した NMR 信号を増幅・検波する受信系で構成されます(図4)。
図4 核磁気共鳴装置の概要
この他磁場の均一度を調整するシムコイル、磁場のドリフトを補正するロックシステム、傾斜磁場コイルなども重要ですが省略しています。
さて、高周波発生装置で生成されたラジオ波はプローブ内の RF コイルを介してサンプルへ照射されます。励起された核スピンにより RF コイルに誘導電流が生じます(NMR 信号)。RF コイルは通常送信・受信両方の信号が通りますが、これらはデュプレクサで切り分けられ、NMR信号のみがプリアンプへと導かれます。プリアンプで増幅された NMR 信号は、その後分光計本体にて位相敏感検波、デジタル化されコンピュータに保存されます。信号雑音比やスペクトル分解能の向上には高い磁場強度が必要で、NMR 装置には一般に超伝導磁石が用いられます。現在7T (1H 共鳴周波数300 MHz)から 23.5T(1H 共鳴周波数1000 MHz)のシステムが市販されています(図5)。
図4 超伝導磁石型NMR装置
低磁場装置では高品質の NMR スペクトルを得ることはできませんが、緩和時間や自己拡散係数の測定に特化することで、油分・水分量の定量やポリマー結晶化度の決定、エマルジョン中の液滴径の測定など、数多くのアプリケーションを可能とした装置も市販されています(図 6)。
図4 永久磁石型NMR装置
4.NMR の応用
日本でも一時期、食品偽装事件が問題になりましたが、食品の産地や成分、加工状態などを正しく把握することは、消費者のみならず食品加工業者にとって重要な課題です。NMR は分子構造のわずかな違いを判別できるので、NMRスペクトルを指紋のように利用することが可能です。
図7 NMRによるフルーツジュースの解析例
図7右では検体の NMR スペクトル(黒線)がモデルの変位値マップ(カラー)から大きくずれています。これはオレンジの皮に含まれるフロリン(phlorin)に由来する信号で、このことからこの検体はオレンジを搾汁したのではなく、皮ごとミキサー処理したものと推測されます。 他にも産地(図7左)、濃縮還元処理や甘味料等添加物の有無などを解析することが可能です。NMRを用いた検査法は1つもしくは少数のスペクトルデータから多くの情報が得られるので、検体当たりの手間やコストを大幅に減らすことができます。
5.さいごに
NMRは装置が高額な上パラメータの数が非常に多く、少々敷居の高い装置ではありましたが、ハード / ソフトの自動化が進み初心者でも簡単に測定・処理・解析ができるようになってきています。今後、非専門家が NMR を活用する場面が益々増えると見込まれ、本稿がそのような方々がNMR の原理に興味を持つ契機となれば幸いです。
荒木力太
(ブルカー・バイオスピン(株))
2012年8月16日 公開